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『清酒のふるさと』


神功皇后ゆかりの「廣田神社」 兵庫県第一の古社 MAP __

「廣田神社」は、『日本書紀』では201(神功皇后摂政元)年、「生田神社」「長田神社」とともに神功皇后が創建したといわれる古社で、兵庫県下最古の神社の一つ。古くは「甲山(かぶとやま)」の山麓にあり、幾度かの遷座を行い、現在は「広田山」の山麓に鎮座する。かつて「六甲山」はこの神社の社領だったとされ、山頂近くの「六甲山神社」は「廣田神社」の境外末社となっている。御祭神は「天照大御神之荒御魂(あまてらすのおおみかみのあらみたま)」。中世に貴族たちが京から見て西に位置する「廣田神社」のことを「西宮」と呼んだことが、西宮の地名の由来ともいわれる。江戸中期の1724(享保9)年、現在地へ遷座、1871(明治4)年に兵庫県内で唯一の官幣大社となった。

写真は昭和戦前期の「廣田神社」。この社殿は1945(昭和20)年の「西宮空襲」で焼失している。【画像は1932(昭和7)年頃】

写真は現在の「廣田神社」の拝殿。現在の本殿は1984(昭和59)年に造営された。

「十日えびす」で有名 全国「えびす神社」の総本社 MAP __

全国にある「えびす神社」の総本社で、地元では「西宮のえべっさん」と親しまれている「西宮神社」。創建は不明だが、「大阪湾」から漁師が引き上げた御神像を祭ったのが起源とされ、中世には「廣田神社」の「浜南宮」となっていた。御祭神は「えびす大神(蛭児大神)」「天照大御神」「大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)」「須佐之男大神(すさのおのおおかみ)」。毎年1月10日前後の3日間行われる「十日えびす」は、福笹を求める大勢の人で賑わい、本えびす(10日)の「開門神事福男選び」も全国的に有名となっている。【画像は明治後期】

写真は、境内の南東に位置し、南北に通る「えべっさん筋」に面して開かれた「西宮神社」の表大門(赤門)と石の鳥居。

「辰馬本家酒造」の生み出した清酒「白鹿」 MAP __

「辰馬本家酒造株式会社」は、清酒「白鹿」で有名な酒造会社で、西宮に本社を置いている。その起源は、江戸時代の1662(寛文2)年、初代辰屋吉左衛門が西宮の自宅の井戸から採った水で酒造りを行ったことにある。「白鹿」の名称は、古代中国の「神仙思想」に登場する白い鹿によるもの。初代は酒造りとともに酒樽の製造も行ったという。やがて、良質の井戸水である「宮水」の販売や、樽廻船による回漕業、金融業も手掛け、明治以降は本業の「辰馬本家酒造」を中心に「辰馬汽船」「辰馬海上火災保険」などを含む「辰馬財閥」へと発展した。また、「甲陽中学校」(現「学校法人辰馬育英会甲陽学院」)にも深く関わり、辰馬家所有の土地を校地として提供するなど、地域にも貢献した。

写真は冬の酒造時期に備え、全ての道具を洗浄・整備する「秋洗い」の様子。奥に見える煉瓦造りの通称「双子蔵」は1894(明治27)年の完成で、「太平洋戦争」での空襲で多くの蔵が焼失する中、奇跡的に残り約100年にわたり銘酒を育み続けたが、1995(平成7)年の「阪神・淡路大震災」で倒壊した。【画像は明治中期~後期】

「辰馬本家酒造」は2022(令和4)年に創業360周年を迎えた。かつての「双子蔵」の隣接地(本社敷地内)では2010(平成22)年に瓶詰工場「白鹿館」の建替えが行われ、屋根の部分は「双子蔵」のデザインがモチーフとされた。写真は現在の「辰馬本家酒造」の本社。


小浜・今津・西宮の酒造

「辰馬本家酒造」での麹つくりの様子

「辰馬本家酒造」での麹つくりの様子。

兵庫県内にある「灘五郷」は日本酒の生産地として全国的に知られている。現在は東から、西宮市内の「今津郷」「西宮郷」、神戸市内の「魚崎郷」「御影郷」「西郷」の5つの地域を指す。

現在の「小浜宿」跡

現在の「小浜宿」跡。
MAP __(小浜宿跡)

江戸時代以前は伊丹(現・兵庫県伊丹市)、池田(現・大阪府池田市)を含めて、摂津・和泉国(現・大阪府、兵庫県)に「摂泉十二郷」という「酒どころ」があった。この中の一つ、「有馬街道」「京伏見街道」などが交わる交通の要衝「小浜(こはま)宿」(現・兵庫県宝塚市小浜)には「小浜流」と呼ばれる流派の酒蔵もあったが、江戸中期頃までに衰退した。

江戸前期には「今津郷」「上灘郷」「下灘郷」が「灘目(なだめ)三郷」と呼ばれ、このうちの「上灘郷」が「東組(魚崎郷)」「中組(御影郷)」「西組(西郷)」の三つに分かれ、1828(文政11)年に「灘五郷」が誕生した。のちに「下灘郷」は衰退、1886(明治19)年に「西宮郷」が加わり、現在まで続いている。

現在の「今津灯台」

現在の「今津灯台」は1858(安政5)年に再建されたもので、現役の航路標識としては日本最古。2023(令和5)年より津波対策の一環で対岸へ移設され、翌2024(令和6)年に再点灯となった。
MAP __(今津灯台)

「今津郷」の代表的な酒造家、現「大関」の長部(おさべ)家は1711(正徳元)年に初代・大坂屋長兵衛が創業したことに始まる。江戸後期の1810(文化7)年、樽廻船の安全を図るために民営の燈台「今津灯台」を設置。江戸期より「万両」の酒銘で知られてきたが、1884(明治17)年、当時人気があった大相撲にちなみ「大関」を酒銘とした。1964(昭和39)年には、業界に先駆けて、一合カップ容器入りの清酒「ワンカップ大関」を発売している。

「宮水発祥之地」の碑

「宮水発祥之地」の碑。周辺には大手酒造メーカーが「宮水」を取水する井戸も見られる。「宮水」は硬水で、ミネラルバランスが日本酒の醸造に向いているとされる。
MAP __(宮水発祥之地の碑)

「西宮郷」では江戸末期の1840(天保11)年に「宮水(みやみず)」(「西宮の水」の意味)が発見された。当時「魚崎郷」と「西宮郷」に酒蔵を構えていた現「櫻正宗」の当主・山邑太左衛門は、「魚崎郷」より「西宮郷」で汲んだ地下水「宮水」を使用した方が良質の日本酒となることに気づき、この水をわざわざ「魚崎郷」まで運んで酒造に用いるようになった。その後「灘五郷」一帯のほかの酒蔵でも「宮水」を使用するようになり、西宮には「宮水」を汲み上げ販売する業者「水屋」も多く誕生した。「宮水」を得やすい「西宮郷」では、前掲の「白鹿」のほか、「白鷹」(「辰馬本家」の分家)、「日本盛」(1889(明治22)年創業)をはじめ、多くの酒蔵が醸造を続け、現在も国内を代表する酒蔵地帯となっている。



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